新しい仲間が増えました 〜その1〜


4月からボラシェアに入社した木下大輔です。
私は、生まれつきに先天性脳性麻痺とヒルシュスプルング病を持っています。先天性脳性麻痺は、両下肢がうまく使えない障がいです。そのため、日常生活は車椅子を使用しています。
ヒルシュスプルング病は、大腸の神経がうまく動かない状態で生まれる病気です。また、私の場合は動かない範囲が大腸だけに止まらずに小腸の半分までに影響がありました。そのため、生まれてすぐに大腸を全摘出と小腸の半分を摘出しました。
医者からは「あと1cmでも動かない範囲が広かったら、死んでいた」と両親は言われたそうです。
また、この病気のために寿命は約20年ぐらいだろうと言われてました。しかし、周囲のおかげで今年で26歳になります。
2つの病気を持って生まれた私ですが、生まれてから5歳になるまでは入退院・手術を繰り返していました。
しかし、私の両親は将来を見据えて「自分のことは自分でやらせる。できないことは人に頼むか工夫をして自分で解決する」スタンスで私と接してくれました。両親のスタンスと元来持ち合わせていた負けず嫌いな性格が功をそうして、なんでも挑戦していきました。
小学6年生の頃にやっていた、野球もそのうちの一つです。野球は、本当に好きで当時はプロ野球選手になろうと思っていたぐらいです。しかし、小学生の夢は中学生に上がると「障がい」に破れてしまい諦めることになってしまいました。野球を部活でしたかった私は、両親のところに入部届けを持っていき話をしました。そこで待ち受けていたのは両親からの厳しい現実でした。
「障がいがあるからプロ野球選手になれないし、スポーツ系を続けていて稼ぐことはあなたの体ではできない」という現実を中学生の私に突きつけてきました。
今考えると至極真っ当で、どうあがいても変えることのできない現実です。
しかし、当時の私は自分の体や障がいを恨みました。恨み・悩みましたが、どうしてもスポーツをやりたいこと諦めきれませんでした。私は、自分の体の状態でもできるスポーツを探しました。探した末に出会ったのが、車椅子陸上競技でした。
次の夢は、「パラリンピックで金メダルを獲得する」ことでした。夢を叶えるために、練習をして試行錯誤を尽くしました。海外にも車椅子陸上競技留学をしました。
どんな障がいを持っていても自分のやりたいことをやっている障がい者が当たり前にいたからです。日本や宮崎では、なかなか見受けられない様子でした。しかも、皆パソコンやITを駆使して誰よりも自分らしく生きている姿を見たときに驚きと悔しい気持ちでいっぱいになりました。宮崎でも同じような光景を作りたいと思うようになりました。
帰国後は、パラリンピックの目標と宮崎から障がい者の姿を変えるという新たな夢のために4年間自分なりに走ってきました。

自分なりに走っている中で、壁にぶち当たっているときにボラシェアの後藤夫妻と出会いました。出会ったときには、宮崎にも私と同じ思いで現実と戦っている人がいると感動しました。色々話していく中で、ボラシェアで働いて一緒に宮崎・日本を変えていきたいと思うようになり入社しました。
私は、当事者としての視点からメンバーへのサポートをしていきその人にあった働き方・スキルを一緒に探して、働ける場所を創り、現実に向かって挑戦していける仲間として頑張ります。
今後ともよろしくお願いします。